2013年12月16日月曜日

周回遅れの自分と入れ子構造の思考

昔は、大人になれば体力は衰えてくるけれど、いろいろな経験をして成熟していくものだと思っていましたが、実際に自分が大人になってみて思うのは、それには個人差があるという事です。

少なくとも私は、辛い経験をしてもそれを自分の糧とする事ができず、さらに臆病になっています。心がすっかり脆くなっていて、少しのショックですぐにひび割れてしまい、またその割れた部分が元に戻るまでも時間がかかるようになりました。

心身が健康な同世代の人は毎日をどうやって過ごしているのでしょう。またストレスがかかった時にどう対処しているのでしょう。友達とあったり運動をしたり、一般的にはいろいろな解消法が言われていますが、慢性的に疲労倦怠感があって、元々好きでもない運動をする気も起こりませんし、散歩さえも億劫になります。

また友達と会うにしても、心身の波があるので、人と会ったりどこかに出かけるなどの予定は、いつも事前に約束をしてそれに合わせて体調を整えていかないと不安な性分なのです。今日イライラする事があったから、夜に友達と会ったりするとかは私にはとても難しい方法です。

まして精神疾患になってからは、自分が全く成長していないなと感じているので、結婚して子供を育てるために一生懸命働いたり、仕事でも役職に就いたりしている友達なんかに会ったら、自分が恥ずかしくて気が遠くなりそうです。

人生で何度も転んで休んでを繰り返し、言わば「周回遅れ」の状態なので、追いつく事さえも無理だろうと思っています。

何より嫌なのは、そういう歪んだ思考を持つ自分自身です。人と自分を比べるなんて無意味だし、それで何も変わるわけでもない。そうわかっていても、才能があったり元気がある人、明るい人を見ると羨ましく思ってしまうし、元気だった時の昔の自分とも比べてしまうのです。

他人とも、自分とも比べて泣きたくなるし、何より今のそういう自分が一番嫌いなんです。

そうして塞ぎこんでしまう事が本当に多くなりました。大人の余裕なるものは全くありません。
強くなりたいとまでは行かないにしても、せめてこういう余計な事が頭の中を支配する思考を捨て去りたいのです。

こうしてブログに書く事が、私にとって数少ない解消法なのだと思います。文章にしていくと視覚化され、少しだけ自分の考えがわかるようになります。

それは認知行動療法のような感じなのですが、それでも時折

「思考が歪んでいると思い込んでいるけれど、本当は大丈夫なんだよ」と言う考え自体が間違っていて、本当は無自覚に人を傷つけたりしている、それなのに「私は悪くない」と身勝手な事を言っているのではないか、私はそういう事を認知行動療法という言い訳で肯定しようとしている

このように「歪んでいる思考は本当は歪んでいない、そう思っているけど実は本当に歪んでいる、でもそれは・・・以下無限ループ」と、入れ子構造のようになってしまい、複雑どころか思考が迷い込んでしまうのです。

そこに自分の頭の中で勝手に不安を感じるやそれを打ち消す自分、それを少し離れているところから見ている自分、これ以上考えると辛いだけだよとたしなめる自分と、視点が次々と切り替わり、勝手に目眩がして倒れそうになります。

でも外見の変化などはないので、他の人から見たら急に淀んだ目をして意識が飛んでいる怪しい人間にしか見えないでしょう。

自分で勝手に悩んで鬱積して、そして追い込んで潰れていくと言う、独り芝居状態です。

でも、こう書いたら少しだけ落ち着いた気がします。文字にすると不思議に自分の気持ちの澱が流れ出していくようです。よく考えると本当に馬鹿らしく虚しい思考だと思えてなりません。

プログラミングのミスによるバグで無限ループが発生するように、私の思考の中のミスを洗い出して修正していけば、いつかきちんと物事をスムーズに処理できる流れになるのでしょうか。


そんな日は、まだだいぶ先になりそうです。


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2013年11月27日水曜日

私が車を苦手な理由《その3》トイレへの不安

しかし電車に乗れないと行動は制限されるし、新しい仕事に就くのもままなりません。家でしばらく静養して心を休めてから、私は混雑していない時間に各駅停車の電車に乗る事から始めてみました。

一駅乗って降りて、二駅乗って降りて、そう言うのを乗客が少なく空いている時間に繰り返し行い、電車にもう一度乗れるように頑張ってみました。

そのおかげで今は働いたり出かけたり普通の生活ができる様になりましたが(それでも体調が悪い時は駅間の長い快速電車などに乗る時は不安です)車はなかなか乗る機会がなくて、小さい頃の吐いた記憶、パニック症状に襲われた時の吐いてしまいそうな感覚、そして便失禁経験からくるトイレに行きたい時に行けない状況への恐怖が混ざってしまい、すっかり車恐怖症になってしまいました。

電車は駅にトイレがだいたい設置されているので、ちょっと体調悪かったら次で降りようとか何となく行動の予定を立てられますが、車だと渋滞などにはまった時にトイレにいけなくなるので、それがとても不安で仕方ないのです。

車以外でもトイレに行けない状況はとても怖いです。例えばテレビで小さな漁船で釣りをしているシーンが映ると、トイレに行きたくなったらどうするんだろうと、いつもトイレの事を真っ先に心配してしまいます。


吐いた事、便失禁した事、それは私の心に深い傷をつけました。パニックになって仕事に行けなくなった事もいまだに癒えません。


私は普通の人間じゃないんだとその時は本当に思いました。今にしてみたらうつ病で精神的に不安定だった所に体調不良も重なってそうなったんだと思いますが、車に乗るのが苦手だと言うのに、ここまで説明するのは面倒くさいし私自身も辛いので、何となくうやむやにしてなるべく車に乗らないような生活をしてきました。

実際暮らしていて車に乗らなければならない事はほとんどないので問題ないのですが、旅行をする時などは本当に困ります。結構車移動が入るケースが多いので、そうすると行きたい所も限られてしまいます。

精神疾患も良くなってきたので、もっとあちこちでかけていろいろな経験をしてみたいとも思うのですが、なかなかそこまで行けません。

車に乗るまでも困難が待ち受けていますし、スキーやスノボのようにスピードが出るものを自分でコントロールするのが怖くてできないという問題もあって、免許を取得するのは夢のまた夢です。

とりあえず今の私には電車移動だけで精一杯です。こうして書いてみる事で自分の心の整理にもなり、少しは乗り物への考えの歪みや過去の傷が回復するかなと、少しの期待を持ちつつこの記事を締めたいと思います。


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私が車を苦手な理由《その2》パニック症状の体験

精神疾患を抱えながら電車通勤をしていたある日、疲れや寝不足もあったのでしょうか、いつも通りに混雑している電車に乗っていると何だか気分が悪くなってきました。

かつて嫌と言うほど味わってきた乗り物酔いとは違う感覚、段々と目の前が真っ暗になってきて鼓動が早くなる一方。何だかこのまま体が崩れ去ってしまうような不安感に襲われました。嫌な汗がいっぱい出てきて、とにかく早くこの人混みから避けたい、飛び降りたくなるほどでした。

次の駅に着いて急いで降りた時にはもう記憶は半分くらいなくて、とにかく気持ち悪くて吐きたい気持ちになりました。目もまともにあけていられないくらい苦しく、かすかに見える階段や人の流れも白黒にしか映りませんでした。

何とか駅のトイレの個室までたどり着いた後は全然記憶が無くて、気付いたら個室で倒れていていました。時間にしてみたら十数分だと思いますが、その間トイレでの記憶はありません。吐いてはいなかったのですが、恐ろしい事に便失禁していました。パンツはおろかスラックスまで便が通ってしまいました。

スーツで漏らしてしまってとにかく焦りましたが、とりあえず会社には体調不良で休む事を伝え、その後はトイレットペーパーや顔が汗ばんだ時に拭くフェイシャルペーパーを何枚も使って、スラックスについた便を拭き取りました。下着は持っていたビニール袋に包んでトイレのゴミ箱に捨ててしまいました、お掃除の方、あの時は本当にごめんなさい。


あと、ここまで書いて何ですが汚い話を書いてごめんなさい。


何とか汚れを取ったスラックスをノーパンで身に付け、臭いが残っていないか不安に感じながら人が少なくなるまで電車を見送り、最後尾の端っこで最寄り駅まで、どうか臭いに気付く人がいませんようにととにかく祈りました。

家についてからはスラックスを洗ったりシャワーを浴びたりしながら、先ほど自分の身に起こった出来事はいったい何だったのか気になり始めました。そしてまたあのような事が起こったらどうしようと不安になり始めました。


次の日からは途中下車しても仕事に間に合うように早めに家に出るようになりました、でもそれでもやっぱり混んだ電車に乗ると窮屈で、停止信号で止まったりすると、トイレに行けなくなる、ここで気持ち悪くなって吐いたり便を漏らしたらどうしようと思うと不安が募っていき、早く電車が動いて欲しくて仕方ありませんでした。そう思うほどに気分が悪くなってきて、結局次の駅で降りてしまうと言う始末。

そうしてうつ病だけでも体が疲弊しているのに、そこにパニックの症状まで出始めてしまい、私は最終的に仕事を辞めてしまいます。その後しばらく電車に乗る事もためらうようになりました。(つづく)


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私が車を苦手な理由《その1》幼少期の乗り物酔い経験

以前別のブログに書いた記事なのですが、よく考えると病んでいる内容なので、こちらのブログにも載せた方が良いと思ったものです。



30代後半になっていろいろな経験をしても、もしかしたらいろいろな経験をしたからこそさらに苦手になってしまったのでしょうか、そんなものが私にはあります。それが車です。

小さい頃から車に乗る事が好きではありませんでした。保育園に通っている頃は常に五感が開いているような感じで、風景や臭いなど些細な変化で頭が痛くなったり気持ち悪くなる幼少期でした。

スピードが出る事や移動が出来ない閉鎖的な空間、そして何より苦手だったのは高速を下りる時に体がフワッとなり内臓が上がるような感覚が大嫌いで、小さい頃はそれでいつも泣いていました。そんな事もあって車ではいつも気持ち悪くなってだいたい吐いていました。吐くまでに至らなくても、もの凄く頭がズキズキして人と会話をするのもままならない程でした。

しかも気持ち悪いので吐きたいと言うのが恥ずかしくてギリギリまで我慢して、結局車内で吐いてしまうと言う事を何度かして、そのたびに大人達に怒られたり呆れられたりしたので、車の中は気持ち悪くて辛い時にさらに怒られると言う嫌な思いでの積み重ねしかありません。

またそういう事が続くと、車で移動する前の日からまた車酔いをして吐くのではないかと言うイメージが先行してしまい眠れず、当日になって寝不足で体調が悪くなり、さらに車酔いすると言う悪循環に悩まされていました。


小学校からは社会科見学をはじめ、車の移動がある行事が結構あります。その時は精神的に緊張が走るのか、車内ではなるべく無理をして明るく振る舞い、車酔いに意識が行かないように自分なりに努めました。

そして時々込み上げる酸っぱい液を何度も飲んで胃に落として我慢をして、サービスエリアなどで休憩時間になるとトイレに入ったり時には人気のない場所の植え込みに吐いたりしました。吐いた後の青白くなった顔を叩いて赤みを取り戻すという事までしていました。

学校で吐いたりするとそれをネタにされるのではないか、とにかく同級生に自分のそういう姿を見られては恥ずかしい、馬鹿にされると思い、弱みを見せないように必死に自分を守っていました。


そんな辛い時期もありましたが、中学生高校生と大人になって少しずつ車酔いは解消されてきました。でも車そのものは相変わらず好きではなく、あくまで移動手段としてやむを得ず利用していると割り切っていました。なので大人になって免許を取りたい、良い車に乗りたいと言うような気持ちは微塵もありませんでした。

車に長時間揺られる先に、その辛さに勝るような楽しい事が待っているのなら、苦痛である移動も耐えられました。海外という見知らぬ土地でバスに2,3時間揺られても、目的地に楽しい事が待っているのがわかっているので苦にはならない時もありました。

しかしうつ病と言う精神疾患になり、私の乗り物へのイメージが再び悪化する事となります。(つづく)

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2013年10月31日木曜日

第3回「にじのこころ親睦会」開催にむけて

来年の春ににじのこころのミーティングをやろうと思っています。

今年は冬と夏に開催したのですが、結構気候的にも過酷だったし、これから寒くなると冬季うつとかで何となく体調が良くないと言う方も多いかもしれないので、温かくなって活動しやすい4,5月くらいにやろうと思います。

今年の夏に開催した際は、私も少し気持ちが落ちている状態だったので、満足のいくような感じで進行できませんでした。

来年開催する時は、もっとセクシュアルマイノリティー×精神疾患について深く話し合って、悩んでいる所や、自分なりの困った時の解決策などを情報共有できたらと思っています。

第1回の場所は、カラオケボックスみたいに仕切られていて話し声が外に漏れづらく、センシティブな話もしやすかったし、ミーティングをしたその場所でそのまま食事会に流れる事ができたのでとても便利でした。

でもそのお店が無くなってしまい、第2回は同じ場所でミーティングから食事会ができて、しかも会話が外に聴こえないような場所探しに苦労しました。

そこで、本来のにじのこころの目的に立ち返ろうと思います。

セクシュアルマイノリティー×精神疾患で生きづらいと思う事やそれを乗り越えたり受け入れた経験、困った事を解決したり辛さを和らげる方法を模索したり、皆で話す事で糸口を見つけたり、ひとりじゃないとホッとしたり、普段言えない事を話してスッキリしたり・・・そういう事をやっていきたいと思います。

きちんと仕切られた空間で周りの目を気にせず、話したい事を思い切り話そうと言うものにしていきたいと思います。

新宿二丁目のビッグスビルにある喫茶室ルノワールの貸しスペースはWeb予約できるみたいだし、ちょっとよさそうなのでどんな感じかリサーチしたいと思います。

会を開くのもそうですが、もしセクシュアルマイノリティー×精神疾患で困っている事などがあれば、それを事前に聴いてブログやFacebookページ、Twitterなどで問題点を提示、そして解決策のアイデア募集の情報共有をしていきたいと思っています。

人それぞれの病気の歩みがあるので、自分の経験や打開策が必ずしも他の人にも通じるわけではありませんが、いろいろな方法があれば、その中で自分にも使える方法があったり、そこから自分がアレンジして新しい解決法を見つける事もできるのではないでしょうか。

周りがセクシュアルマイノリティーや精神疾患に理解がなかったりすると、本当に自分は人間として駄目なのではないか、生きてはいけない存在なのではないかと思ってしまいます。自己肯定できない事は本当に辛いです。

同じように悩んでいる人がいる、そして自分らしく生きていいんだと思えるような、そんな場所作りをネットとリアルミーティングでやっていきたいです。

・・・今はだいぶ復調したので、こんな大それた事言っていますが、私もずっと精神的に安定しているわけではないので、少しずつですが準備していきたいと思います。

ミーティング場所のリサーチや、来春にむけての意気込みと準備などもこちらでご報告していきたいと思います。

気になる方や、こんな事を話して欲しいなどのお題がありましたら、ぜひメッセージください。

よろしくお願いします。

2013年9月8日日曜日

明日もわからない私の7年後

2020年のオリンピックに東京が選ばれました。

私自身がスポーツにあまり関心がない事もあって、開催地決定地の熱狂ぶりが何だか遠い世界の出来事のような気がしてなりません。

スポーツが苦手だという事もありますが、スポーツ選手の真っ直ぐな勢い、鍛えられた肉体と精神力、プレッシャーを乗り越えるタフさ。何もかもが自分には欠落していて、スポーツ選手が眩しすぎて見ていられないのかもしれません。

「国民一丸となって」「感動」「勇気」そんな言葉は、精神疾患の私には何だか重く感じます。

1日の中でも心身が落ち着かなく不安定で今日をこなすのに精一杯、明日の事もわからないのに、皆は7年後のオリンピックの未来を喜んでいる、その温度差をもの凄く感じました。

パラリンピックも開かれるので、これを機に東京の街中を車イスや目の不自由な方が安全に、そして自分の意思でどこへでも行ける様な、そんな環境が整ってくれたらと思います。障害のある方への配慮する気持ちがもっと根付いて、精神疾患への理解も深まってくれたらと思います。



華やかな舞台やスポーツ選手の活躍、それで元気をもらえる人もたくさんいるとは思うけれど、本当に辛く苦しみに喘ぎ、それを楽しんで見る余裕もない人がたくさんいる事も忘れてはいけないような気がします。

7年後、まだだいぶ先だとも思いますが、時はアッと言う間にやってきます。

私は病気で苦しみ、家から出られなかった事が長く続きました。その時に感じたのは、悩んだり将来の見通しが立たなかったり、働けず金銭面での不安で震えている毎日は、時間の流れがとてもゆっくりで拷問のようでしたが、気付いたらすぐに半年経っていました。

1日は長いのに、半年や1年は早く感じる。本当に不思議です。そして時は残酷で、人の歩みを晒す冷徹な存在だと思っています。

そしてそれほどの時間が流れても現状の打開策が見えず、時の流れが本当に怖かったです。自分の回復や成長がまったく感じられず、それは人間としての進歩もないと思い知らされるからです。

今の状態では7年後にうつ病が治っている気もしないですし、そうなると現状維持で精一杯、それか今より悪くなるか、そのどちらかしか未来を描けません。

精神疾患への更なる理解、新しい治療法や薬の開発、そういった事がきっかけで7年後の未来が切り開ける可能性もありますが、少しずつ自分を上向きにシフトしていかなければいけないと思っています。それによって焦燥感にかられて心が乱れては本末転倒ですが。



先に時は残酷で冷徹だと書きましたが、時のもうひとつの顔として忘却があります。

それは「日にち薬」というものと同じかもしれません。辛い経験や悲しみも月日を経ることによって乗り越える力を与えてくれると言うものです。

今の私がこうしてブログを書いているのも、7年くらい前の精神的に本当に不安定だった頃の私からしたら嘘のようです。

だから、もしかしたら7年後も何とかやっていけるかもしれない、そして今の漠然とした不安も、いつか笑い話になるのかもしれません。



そう信じて、私は精神疾患でセクシュアルマイノリティーのみなさんともっと話して、そして自分の不安、他の方の心の荷物、そう言った物を少しずつ解いていきたいと思います。

私が7年後に向けてできる事としては、とりあえずそれしか思い浮かびませんが、みなさんのお力をお借りする事もあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。

2013年8月26日月曜日

私の精神疾患について書いていきます

LGBTであり精神疾患を抱えている人達が集まる「にじのこころ親睦会」おかげ様で無事に2回目が終わりました。

このブログはそのお知らせ用に作ったものなのですが、親睦会の開催頻度が少ないので、その間放置状態でした。しかしそれも勿体無い話なので、親睦会のお知らせ以外にも私の精神疾患経験や病歴などについてつらつらと書いていこうと考えました。

病気になって日常生活で困った事や仕事を辞めた事、お薬について、そして将来への不安など、いろいろな実体験を書く事で、精神疾患で悩んだりしている人の参考に少しでもなればと思っています。

私自身の経験を書く事で、親睦会に参加してみたいと思う人がもしかしたら増えるかもしれないので、過去を振り返りながら心を整理して、少しずつですが伝わるように書いていきたいと思います。

うつ病、パニック障害、強迫性障害と経験し、仕事を続けられず悩みました。精神疾患で何に対しても後ろ向きになり、そんな自分が一番嫌いでした。そういう歪んだ考えそのものが病気の怖い所なのですが、苦しくてその事にも気付きませんでした。

恥ずかしくて相談もできなかったり、嘘をついて明るく振る舞ってその反動で虚しくなったり、何をしても裏目に出ていた気がします。

そんな当事者の経験を書いて、精神疾患で今辛い思いをしている人に少しでも伝わればと思っています。

私個人の経験からすると、正しい情報があれば精神疾患の闇は多少は回避できたかもしれませんが、本当に辛い時はその情報さえも頭に入ってこないという感じでした。

そのあたりをよく考えながら書いていきたいと思います。

2013年8月20日火曜日

第2回「にじのこころ親睦会」無事終了しました

LGBTの精神疾患を考える集まり「にじのこころ親睦会」の第2回が無事に終わりました。

精神疾患で悩んでいると、そういう集まりの場が欲くて自分で作ろうと思っていても、企画したり参加者にスケジュールを伝え調整するのが結構大変だったりする部分もあります。

なので、私はうまく会を進行するという気持ちよりは、みんなが出会える空間をとりあえず作ってみる、その事をとりあえず頑張ってみました。会が始まればみんな不安に思ったり生きづらいと感じる事など、結構共通点があるので話は進んでいくはず、そう思ったからです。

とは言っても、暑い8月に企画した事や待ち合わせ場所がわかりづらかった事、私自身がうまく話できなかったなど、反省点がたくさんありました。

今回も不安定でうまく進行できない私でしたが、参加してくださった皆さんに本当に助けられました。どうもありがとうございました。

この会はただただ雑談をするだけのような本当にゆるい空間なので、疾患が改善するようなものでもありません。

ただ少しでも同じように悩んだり辛い思いをしている人がいる、そしてわかりあえる人達が他にもいると言う事をわかってもらえたら嬉しいと思います。

また開催したいと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。


2013年7月18日木曜日

にじのこころ親睦会が近づいています

8月3日に行われる親睦会はこんな感じです。

場所は新宿で開催します。
16時から18時までは集まった皆で自身のセクシュアリティーや疾患について話します。自分の事を話す事で心を整理したり、いろいろな方の困っている事などを聴いて皆で考えてみたりします。

自分以外の方と疾患について話すと、思いがけない発見があったり、共通点に気付いたりする事もできます。

※話すと喉が渇くと思います。飲み物はいろいろ頼めますが、飲んだ分ご負担いただくようになりますので、ご了承願います。

18時からは親睦会です。
メインは焼肉なのですがサイドメニューもいろいろあります。飲み放題もついて2990円です
(飲み放題にはお酒もありますが、お薬を飲んでいる方などはご注意ください)
食事をしながらリラックスして盛り上がりましょう。

前半・後半どちらかの参加、また両方とも参加するかを教えてください。



参加申し込み
1:Twitterのアカウント「にじのこころ」(https://twitter.com/lgbtniji)にダイレクトメッセージ
  
2:メールアドレス(lgbtnijinokokoro@gmail.com)にメール

ご自身のセクシュアリティや精神疾患について、何か一言書いていただけると助かります。
もし親睦会参加時に何か配慮が必要な場合がありましたらお知らせください。

もしご質問などありましたら、そちらも上の方法でお寄せください。


よろしくお願いします。

2013年6月19日水曜日

第2回「にじのこころ親睦会」開催日変更のお知らせ

セクシュアルマイノリティーであり、精神疾患を抱える人たちで集まって語り合う親睦会「にじのこころ親睦会」の開催日について連絡があります。

開催日が変更になりました。本当に申し訳ありません。

7月27日(土)→8月3日(土)と一週間ずれます。場所は新宿で変わりません。

お忙しいところ申し訳ありませんが、よろしくお願いします。


参加申し込み
1:Twitterのアカウント「にじのこころ」(https://twitter.com/lgbtniji)にダイレクトメッセージ
2:メールアドレス(lgbtnijinokokoro@gmail.com)にメール

ご自身のセクシュアリティや精神疾患について、何か一言書いていただけると助かります。
もし親睦会参加時に何か配慮が必要な場合がありましたらお知らせください。





2013年5月12日日曜日

第2回「にじのこころ親睦会」開催のお知らせ

LGBTで精神疾患の人が集まってゆるゆると話す「にじのこころ親睦会」の第2回を開催する事になりました。

6月に入ると梅雨に入るので、天候が悪くなって精神的に調子が悪くなる人がいるかも、と勝手に考え7月27日(土)に開催する予定です。

前回は1月下旬に開催したので、だいたい半年もの間が開いてしまって申し訳ないのですが、やっと開催します。

前回の第1回親睦会は、何せ初めての事だったので私自身がとても緊張しまして、話のネタがなくなったらどうしようと、メモにネタを箇条書きにして持っていったのですが、そんな心配をよそに親睦会は盛り上がりました。

みんな初対面でしたが、LGBTや精神疾患という共通点に普段の生活より心がほどけたのか、様々な話が出てきました。

私はゲイなのですが、他の性的指向の方とあまりお話しする機会があまりないので、そのあたりのお話も聴けて大変興味深かったです。

今回も前回と同じように参加者で2時間ほど自分の性的指向や精神疾患について話し、その後は同じ場所で飲み会をする予定です。

参加者人数によっては前回と同じ場所が取れず、若干システムが変わってしまう場合もありますがご了承ください。

みんなで話してみてわかったのは、同じLGBTで精神疾患という大きな枠の中にありながらも、それぞれ微妙に違うので自分が知らない悩みや苦労があると言う事。

自分の辛さを吐露する事で気持ちがスッキリする事もそうですが、人の話を聴く事で様々な方がいると言う事を改めて感じる事ができてとても面白いです。


参加申し込み
1:Twitterのアカウント「にじのこころ」(https://twitter.com/lgbtniji)にダイレクトメッセージ
2:メールアドレス(lgbtnijinokokoro@gmail.com)にメール

ご自身のセクシュアリティや精神疾患について、何か一言書いていただけると助かります。
もし親睦会参加時に何か配慮が必要な場合がありましたらお知らせください。

もしご質問などありましたら、そちらも上の方法でお寄せください。

何せLGBTや精神疾患の皆さんの集まりなので、写真で親睦会の盛り上がりのご紹介したりする事ができず、なかなか会の様子をわかりやすくお伝えできないのが申し訳ないのですが、このブログでどんな親睦会だったか、どうしていきたいのかを書いていきたいと思います。

2013年5月11日土曜日

にじのこころのブログを開始しました

今日からブログを開始いたしました。

Facebookでは「にじのこころ(LGBTと精神疾患)」としてページを作っていましたが、Facebookをしていない人にも知ってもらいたいと思い、ようやくブログを作成しました。

うつ病をはじめ精神疾患の方が増えている事はニュースなどを始め知っている方も多いと思いますが、その中でLGBTはどのくらいいるんだろう、自分自身が精神疾患を経験してからそんな事を思い続けていました。

LGBTの仲間と話していても自分が精神疾患だとは言えなかったり、また治療のために病院に通っていても、そこで自分がLGBTである事は言えなかったり、そうしてさらに心が落ち込んでしまうという複雑な事情があるような気がします。

ましてLGBTとして生きていると、社会になじめない部分、無理をして合わせなければならない部分があり、またLGBTを隠しながらの毎日に生きづらさを感じたり、精神疾患になりやすいのではないでしょうか。

そんな事をみんなで話し合ったり、情報を共有できる場所作りをしたいと思い、昨年の秋頃Facebookページを作成しました。

こちらでも様々な方が集まれる場所として役立てたいと思っています。

どうぞよろしくお願いします。