2013年9月8日日曜日

明日もわからない私の7年後

2020年のオリンピックに東京が選ばれました。

私自身がスポーツにあまり関心がない事もあって、開催地決定地の熱狂ぶりが何だか遠い世界の出来事のような気がしてなりません。

スポーツが苦手だという事もありますが、スポーツ選手の真っ直ぐな勢い、鍛えられた肉体と精神力、プレッシャーを乗り越えるタフさ。何もかもが自分には欠落していて、スポーツ選手が眩しすぎて見ていられないのかもしれません。

「国民一丸となって」「感動」「勇気」そんな言葉は、精神疾患の私には何だか重く感じます。

1日の中でも心身が落ち着かなく不安定で今日をこなすのに精一杯、明日の事もわからないのに、皆は7年後のオリンピックの未来を喜んでいる、その温度差をもの凄く感じました。

パラリンピックも開かれるので、これを機に東京の街中を車イスや目の不自由な方が安全に、そして自分の意思でどこへでも行ける様な、そんな環境が整ってくれたらと思います。障害のある方への配慮する気持ちがもっと根付いて、精神疾患への理解も深まってくれたらと思います。



華やかな舞台やスポーツ選手の活躍、それで元気をもらえる人もたくさんいるとは思うけれど、本当に辛く苦しみに喘ぎ、それを楽しんで見る余裕もない人がたくさんいる事も忘れてはいけないような気がします。

7年後、まだだいぶ先だとも思いますが、時はアッと言う間にやってきます。

私は病気で苦しみ、家から出られなかった事が長く続きました。その時に感じたのは、悩んだり将来の見通しが立たなかったり、働けず金銭面での不安で震えている毎日は、時間の流れがとてもゆっくりで拷問のようでしたが、気付いたらすぐに半年経っていました。

1日は長いのに、半年や1年は早く感じる。本当に不思議です。そして時は残酷で、人の歩みを晒す冷徹な存在だと思っています。

そしてそれほどの時間が流れても現状の打開策が見えず、時の流れが本当に怖かったです。自分の回復や成長がまったく感じられず、それは人間としての進歩もないと思い知らされるからです。

今の状態では7年後にうつ病が治っている気もしないですし、そうなると現状維持で精一杯、それか今より悪くなるか、そのどちらかしか未来を描けません。

精神疾患への更なる理解、新しい治療法や薬の開発、そういった事がきっかけで7年後の未来が切り開ける可能性もありますが、少しずつ自分を上向きにシフトしていかなければいけないと思っています。それによって焦燥感にかられて心が乱れては本末転倒ですが。



先に時は残酷で冷徹だと書きましたが、時のもうひとつの顔として忘却があります。

それは「日にち薬」というものと同じかもしれません。辛い経験や悲しみも月日を経ることによって乗り越える力を与えてくれると言うものです。

今の私がこうしてブログを書いているのも、7年くらい前の精神的に本当に不安定だった頃の私からしたら嘘のようです。

だから、もしかしたら7年後も何とかやっていけるかもしれない、そして今の漠然とした不安も、いつか笑い話になるのかもしれません。



そう信じて、私は精神疾患でセクシュアルマイノリティーのみなさんともっと話して、そして自分の不安、他の方の心の荷物、そう言った物を少しずつ解いていきたいと思います。

私が7年後に向けてできる事としては、とりあえずそれしか思い浮かびませんが、みなさんのお力をお借りする事もあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。