2013年12月16日月曜日

周回遅れの自分と入れ子構造の思考

昔は、大人になれば体力は衰えてくるけれど、いろいろな経験をして成熟していくものだと思っていましたが、実際に自分が大人になってみて思うのは、それには個人差があるという事です。

少なくとも私は、辛い経験をしてもそれを自分の糧とする事ができず、さらに臆病になっています。心がすっかり脆くなっていて、少しのショックですぐにひび割れてしまい、またその割れた部分が元に戻るまでも時間がかかるようになりました。

心身が健康な同世代の人は毎日をどうやって過ごしているのでしょう。またストレスがかかった時にどう対処しているのでしょう。友達とあったり運動をしたり、一般的にはいろいろな解消法が言われていますが、慢性的に疲労倦怠感があって、元々好きでもない運動をする気も起こりませんし、散歩さえも億劫になります。

また友達と会うにしても、心身の波があるので、人と会ったりどこかに出かけるなどの予定は、いつも事前に約束をしてそれに合わせて体調を整えていかないと不安な性分なのです。今日イライラする事があったから、夜に友達と会ったりするとかは私にはとても難しい方法です。

まして精神疾患になってからは、自分が全く成長していないなと感じているので、結婚して子供を育てるために一生懸命働いたり、仕事でも役職に就いたりしている友達なんかに会ったら、自分が恥ずかしくて気が遠くなりそうです。

人生で何度も転んで休んでを繰り返し、言わば「周回遅れ」の状態なので、追いつく事さえも無理だろうと思っています。

何より嫌なのは、そういう歪んだ思考を持つ自分自身です。人と自分を比べるなんて無意味だし、それで何も変わるわけでもない。そうわかっていても、才能があったり元気がある人、明るい人を見ると羨ましく思ってしまうし、元気だった時の昔の自分とも比べてしまうのです。

他人とも、自分とも比べて泣きたくなるし、何より今のそういう自分が一番嫌いなんです。

そうして塞ぎこんでしまう事が本当に多くなりました。大人の余裕なるものは全くありません。
強くなりたいとまでは行かないにしても、せめてこういう余計な事が頭の中を支配する思考を捨て去りたいのです。

こうしてブログに書く事が、私にとって数少ない解消法なのだと思います。文章にしていくと視覚化され、少しだけ自分の考えがわかるようになります。

それは認知行動療法のような感じなのですが、それでも時折

「思考が歪んでいると思い込んでいるけれど、本当は大丈夫なんだよ」と言う考え自体が間違っていて、本当は無自覚に人を傷つけたりしている、それなのに「私は悪くない」と身勝手な事を言っているのではないか、私はそういう事を認知行動療法という言い訳で肯定しようとしている

このように「歪んでいる思考は本当は歪んでいない、そう思っているけど実は本当に歪んでいる、でもそれは・・・以下無限ループ」と、入れ子構造のようになってしまい、複雑どころか思考が迷い込んでしまうのです。

そこに自分の頭の中で勝手に不安を感じるやそれを打ち消す自分、それを少し離れているところから見ている自分、これ以上考えると辛いだけだよとたしなめる自分と、視点が次々と切り替わり、勝手に目眩がして倒れそうになります。

でも外見の変化などはないので、他の人から見たら急に淀んだ目をして意識が飛んでいる怪しい人間にしか見えないでしょう。

自分で勝手に悩んで鬱積して、そして追い込んで潰れていくと言う、独り芝居状態です。

でも、こう書いたら少しだけ落ち着いた気がします。文字にすると不思議に自分の気持ちの澱が流れ出していくようです。よく考えると本当に馬鹿らしく虚しい思考だと思えてなりません。

プログラミングのミスによるバグで無限ループが発生するように、私の思考の中のミスを洗い出して修正していけば、いつかきちんと物事をスムーズに処理できる流れになるのでしょうか。


そんな日は、まだだいぶ先になりそうです。


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