パラリンピックがスタートして、さっそくメダルラッシュや入賞が相次いでいます。
パラリンピックや先月閉会したオリンピックなどを見て思うのは、様々な障害やプレッシャーがある中でストイックに自分の肉体や精神を鍛え、大会などで結果を残していく選手達が本当に輝いている事です。
そういうのを見ると、自分には何もないという事を思い知らされるばかりなのですが、かと言って血の滲むような努力をしているわけでもないし、そこまで体も心も動かないし、無理をすると揺り戻しでそのあと数日はぐったりしてしまいます。
選手達にメダルを取りたいと言う強い気持ちがあるのは勿論だと思いますが、日々タイムを縮めたり、距離を伸ばしたりと「昨日の自分を超える」という積み重ねで成長し、その結果としてメダルに手が届くのではないでしょうか。
誰かと比べず、まずは1cmでも1mmでも自分自身を伸ばしていく、前に進めていく。昨日の自分に負けない。自分を更新していく、そこから始めたらいいのかなと思いました。
精神疾患を抱えると、まずそういう前向きな考え方になるのも難しいですし、そう考えても全然気持ちが浮上せず体も思い通りに動きません。その中で時間だけが経っていき、周りの成長が羨ましく、そして自分だけが置いていかれた孤独感に包まれてしまいます。
自己ベストを更新するためには、まずそう考えられる段階にもっていかなくてはならないという一手間が必要になります。それが大変で、私も一歩進んだのに二歩戻る事を繰り返しています。今日こんな風に少し前向きな気持ちを持ったとしても、明日にはわかりません。
具合が悪くて何も出来ない時はとにかく心身を休めるのに徹底するべきだと思います。森田療法の「絶対臥褥」みたいな感じですが、何だか寝てばかりで天井の模様だけずっと見ていると、それがまるで成長していないかのように感じてしまいますが、それは回復に向けて自分が進んでいると考えるべきだと思います。
休んでいる時はそういう事も考えない方が一番なのですが、どうしても頭の片隅にチラチラと自分の情けなさが浮かんできてしまう時は、蝶になるためにサナギが固くなっているのを想像します。木の冬芽もそうです。
決して立ち止まっているわけではないんです・・・
2020年には東京でオリンピック・パラリンピックが開催される事が決まり、今まで車椅子などでは通る事が難しかった段差などが解消されていくと思います。国際的なイベントを行う都市が高齢者や障害者に配慮していないと対外的に恥ずかしいとして整備するのではないでしょうか。
そういう事でもないと社会的に弱い立場の人達の事を考えなかったり、おそらく東京だけしかやらないというのもどうかと思いますが・・・。
身体に障害がある人が自分の行きたい場所に自由に行ける街づくりが進む事を望みますが、
知的障害や発達障害、そして精神障害のある方も安心して暮らせる街にしていってほしいと思いますし、当事者からもどんどんと発信していかないといけないですね。
「知的障害、発達障害、精神障害のある方とのコミュニケーションハンドブック」
http://www.mlit.go.jp/common/000043355.pdf
「知的障害、発達障害、精神障害のある人のための施設整備のポイント集」
http://www.mlit.go.jp/common/000045596.pdf
上のように行政や企業が様々な取り組みをしても、社会の見守ってくれる温かい眼差しや、手を差し伸べてくれる優しさがなければ意味がありません。テレビやネットでも差別的な言動がたくさん見受けられます。
そういう誤解や偏見を少しでも潰していき、生きづらい社会を少しでも良くしていく、それが私なりの自分を成長させるための、自己ベストを更新していくための生きがいのひとつになりつつあります。
オリンピック・パラリンピックのために様々な設備が整っても、そこに人の気持ちが追いついていかないと何の意味もない。それに気付かなくてはいけないと思います。
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